何故、私は30年もこの話に囚われ続けているのか?
あの日、喫茶店に入って忘れないうちにAさんから聞いた話を頭の中から振り絞るようにしてレポート用紙に書き続けました。
Aさん 「あなたはどうしてこんなことをするのか?」
私 「1つは、自分の可能性を試してみたい、と思ったこと。もう1つは、昔、会計事務所にいたとき、担当先の社長と私の上司、私の3人で話をしていたとき、私の上司が社長に売り上げが上がってよかったですね、と言った。そうしたら社長は何と言ったか。たった一言、会計事務所の職員何もしていないと。そのときは、笑って終わったが結構ショックだった。ただ、勉強だけして試験に合格するのではなく、もっといろんなことを勉強してみたいと思った」
Aさん 「弁護士の中にも法律のことだけしか知らない人がいる。そういうことなら価値がある。大企業の社長を見ていると何にでも興味をもつ。例えば、(砂糖の入ったビンを指さしながら)これは、どうしてこういう形をしているのかな、ここに穴が開いているけど、ここからハエが入らないのかな、とか」
私は高校卒業後、昼間は自営業をしている祖父に紹介してもらった会計事務所で働いて夜は大学に行って勉強していました。家は母子家庭で金銭的な余裕はあまりなかったので学費を稼ぐ必要がありました。大学に行った理由は人生の選択肢を狭めたくなかったからです。どんな大学でも出ておいた方がいいというのが当時の自分の判断でした。
大学は卒業したものの、会計事務所はその1年前に辞めてしまいました。辞めた理由は仕事が嫌になったこと、そして大学4年生になって就職活動をしてみたかったこと、大きくはこの2点でした。せっかく祖父の紹介で働かせてもらったのにとても自分勝手だったと思います。就職活動ではIT企業から内定をいただいたものの最後に本当にそれでいいのか考えてしましました。自分が本当にやりたいことはシステムエンジニアなのか、結論が出ません。最後は内定を辞退してアルバイトをしながら税理士試験の勉強をすることに決めました。ある企業の面接官から次のようなことを言われました。「一流大学とそうでない大学との違いは何か? それはいかに努力をしてきたかだ」と。私が内定を辞退して税理士試験の勉強をすることを決断したのは、最終的にはその言葉が最後の一押しとなりました。その時の私は自分の将来を否定されたような気持ちになりました。そのことに対する反発心以外の何物でもなかったと思います。
今、こうして改めて自分の人生を振り返ってみると、そんな理由でIT企業の内定を辞退する自分はとても浅はかな行動を取ったと思います。しかし、私はもっと前に、自分の方向性を決定付ける経験を会計事務所でしていました。会計事務所の職員は一般的に10件から20件ほどの担当を持ち、顧客企業の会計回りや税務申告に関する業務を行いますが、中小企業がメインのため赤字の会社が多かったです。自分が担当していた会社も赤字の会社が複数ありましたが、それらの赤字会社を前にして、自分の無力さを感じていました。もちろんそんなことは会計事務所の一職員が考える必要のないことで、経営者自らが考え、あるいは会計事務所の所長が経営者に対してアドバイスをするような内容だと思います。しかし、その時の自分は自身の無力さを感じてしまったわけです。その時から経営コンサルタントの存在を強く意識するようになりました。
会計事務所退職後、大手スーパーからの注文に基づき商品を棚から持ってきて箱詰めする商品管理のバイトを始めました。今だとアマゾンの倉庫でのバイトにイメージが近いかもしれません。時間が経つのが遅く退屈に感じていたのを覚えています。コンビニでバイトを始めた理由はもっと消費者の近くでできる仕事がしたかったからです。
ところが、私は人見知りする内向的な性格のため接客に向いている方ではありません。そのため深夜勤務で働くことに決めました。深夜勤務なのでお客さんが来ない時間帯も結構ありました。内向的な自分にとって半分保険をかけるような働き方でした。23時から翌朝8時までの深夜勤務のため高い時給に惹かれたという面もあります。週5日勤務しました。その当時、店内ではSMAPの「俺たちに明日はある」とかJUDY AND MARYの「そばかす」が流れていたのを覚えています。コンビニの深夜のバイトは1年間続けました。Aさんにお会いしたのは7月だったので、その時はすでにバイトを辞めていたはずです。何故辞めていたかというと8月の税理士試験に備えるため、最後の1ヶ月勉強に集中するためです。
そんな大事な時期にもかかわらず自分は何をやっていたのか? その答えはこれです。
これはWordに打ち直していますが元は全て手書きです。実物はターザン大学の部分に私がバイトしていたコンビニのチェーン名が入っています。もちろんそんな大学はありません。ユーモアのつもりで書きました。手書きで全40ページ、物事に対するジョン・メイナード・ケインズの考え方に感銘を受け、3~4ヶ月かけて書きました。これに先立って私はバイト先のチェーン本部の社長に対してバイトで経験したことを元にレポート用紙3、4枚くらいで売り上げや利益を増やすための提案書を郵送しました。今、考えると本当に世間知らずもいいところでした。しかも私の場合、一度社会人を経験しているので本当に愚かだったと思います。会計事務所に勤務していた時にある先輩から「若いうちにバカなことをやっておいた方がいい」言われたことも動機となりました。おそらく先輩は遊びでも恋愛でも若いうちにしかできないことを悔いのないようにやっておいた方がいいよ程度の意味合いで言葉にしたはずです。もちろん社長から返事をいただくことはありませんでした。しかし、その時はそれで簡単に諦める自分ではなかったのです。こんどは私が勤務していたのとは違うチェーン本部の社長に対してこの40ページの論文、実際は自分の思い込みだけで書いた100%妄想の創作を送り付けたわけです。相手から返事をもらうためにはもっと感心してもらえるものを書かなければダメだと。その努力が実って経営企画室のAさんから連絡をいただいたわけです。このとき自分には2つの狙いがありました。1つは自分の書いた創作が認められてチェーン本部から社長賞をもらうこと。20代のほとんどをバイトと税理士試験で過ごしていたため、税理士試験に合格した時、大手税理士法人に入社するためのアピール材料が欲しかったのです。社長賞は履歴書に書けるだけの充分なアピール材料になると思いました。一度きりの人生だから、大きなこと、他の人が考えも付かないことをやって回りをあっと言わせてみたかったのです。それは決して、大勢の人たちに対して銃を乱射するとか休日の歩行者天国にトラックで突っ込むといったことではないです。
Aさん:まず、あなたのレポートは企業のレポートとしては読むことができない。企業には1日何百、何千もの電話や手紙、業界紙、情報誌がくる。なんとか大臣の許可を受けたという得体の知れない電話まで。業界紙だけで40紙もある。社長はそれらに対して全て目を通すことはできない。そこで他の人間がそれらに目を通して大切なところをピックアップしてまとめて社長のところへ持っていく。企業のレポートは先ず結論が先にくる。そして2、3枚程度に簡潔に、かつ、読みやすくまとめられていなければならない。社長は1つの物事に対する決裁を15~30分間隔でやっている。あなたのレポートも私が3、4枚程度にまとめて社長に提出した。恐らくターザンの社長はあなたの手紙を読んでいないと思う。それこそ、ゴミ箱の中へ。あなたの手紙は秘書の人間がたまたま私のところへ持ってきてくれたので上の方まで届いた。
Aさん:結論から先にいうと、ここに書いてあることはほとんど評価するに値しない。私が何十万回バットを振っても落合選手にはなれない・・・
Aさん:では、何故あなたのレポートに興味をもったのか? 新鮮だったから。組織というものは、大きくなればなるほど上にはいい情報しか入ってこなくなる・・・ あなたの手紙を読んだとき「じゃあ、うちの会社はどうなんだ」と思った。そこで、別の人間を使って特別に調べさせた。その結果、ほとんどの店で人の活用がうまく出来ていないことが分かった。
私:今までアルバイトから手紙が来たことはないのか?
Aさん:ない。でも、ゴミ箱の中に入っているかもね(笑)
これで1つ目の狙いは角砂糖と一緒に溶けてしまいました。ある程度予測できていたとはいえ、この時は結構落ち込んでいたと思います。あとはもう1つの狙い、それがセブンの日販が高い理由をAさんから聞くことでした。さすがに自分もそこまでバカではないので、私の創作が評価されない可能性も考えていました。その時、何も残らないのは嫌だったのでせめてセブンの話だけでも聞いてみようと思ったのです。私にとっての大きな収穫は虚偽の報告の話と0.1×100の話でした。
回りから見たら自分は相当変わり者に見えたことでしょう。確か私はバイト仲間の1人に俺はコンビニに自分の人生を賭けるんだとか言っていたのです。そのバイト仲間は「僕はコンビニなんかに自分の人生を賭けるなんて嫌ですね」とバカにした表情で薄ら笑いを浮かべていました。自分のことながら、今思い出しても笑えます。コンビニのバイトに人生を賭けるなんて言ったらあまりの滑稽さと世間知らずさに冷笑されるのは当然ですよね。そういう意味では、自分の人生の早い段階でこの可能性に思い至ることができたのは本当に幸運なことだったと思っています。
「内的原因から発生し、思考、意志、および行動の秩序と明晰さが完全に保たれたまま徐々に発展する、持続的で揺るぎない妄想体系である、と定義される。その際、人生観全体は根底的な変化をこうむって、周囲の世界に対する患者の見方の”ずれ”は著しくなる。したがってこの状態を”偏執狂”と呼ぶのが妥当である」と規定されるに至る。古くからフランスの精神医学で「明晰な狂気」、「理性的狂気」、つまりは明晰な理性を保った狂気という意味の言葉が使われているが、パラノイアとは、要するに極めてパラドキシカルな疾病概念なのである。
パラノイアの特徴は誇大妄想に求められている。すなわち、「この特徴は普通、いろいろな内的な闘いや変革をへて、秘かな願望や夢の充足として浮かび上がってくる。患者としては世界救済者、発見者、発明家、宗教的開祖、政治家、王位継承権保持者がおり、彼らは人生に対するおのれの高い要求を自己の業績、神の啓示、秘められた血統でもって基礎づける。(中略)当然待ち受けている失望や周囲との絶えざる軋轢のために、普通さらに被害妄想へと導かれるが、それが病像を支配するに至ることは決してない。常にその基調をなすのは、自己の優越性の最終的勝利への確信である」とされる。
正気の発見 パラノイア中核論 内沼幸雄
何故、パラノイアに思い至ったのか? それは私が対人恐怖症に興味を持ったからです。対人恐怖症に関する書籍を探している時に精神医学の専門家である内沼幸雄さんの本を見つけました。内沼さんは東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の犯人の精神鑑定をした人です。内沼さんの他の著書を調べているときに、題名にパラノイアという不思議な言葉が含まれた本が気になり手に取った次第です。
この本を読んだ時に思いました。これは自分のことだと。とくに以下の部分に強く惹きつけられました。
「思考、意志、および行動の秩序と明晰さが完全に保たれたまま」
「徐々に発展する、持続的で揺るぎない」
「周囲の世界に対する患者の見方の”ずれ”は著しくなる」
これが何か、思い出しませんか? そう、カオス理論、バタフライ効果です!
初めの小さな誤差(ずれ)が時間の経過とともに、どんどん大きな誤差(ずれ)へ発展する
何のことはない、0.1×100とは自分のことだったのです。それに気付いた時、私は笑いをこらえ切れませんでした。だって、Aさんが言っていたのはセブンイレブンのことではなく私のことだったのですから。
Aさん「0.1×100とはあなたのことです」
永井豪のデビルマンで物語の最後の方に登場人物の1人が自分の正体を知る場面がありますが、これで納得がいきました。コンビニの日販グラフに強い興味を持ち、その答えを知りたくて40ページの創作を書く他の人から見たらとても変わり者の自分、コンビニ本部の経営企画室の人から0.1×100の話を聞いたが、その答えに納得せず、Aさんと店長の話を頭の中で勝手に結び付けて恐怖政治と虚偽の報告という妄想を作り出した自分。そして自分にとって都合のよい情報を搔き集めその妄想をあたかも事実であるかのように膨らませていった自分。
対人恐怖症の専門家の内沼さんがパラノイアに関心を抱いたのは対人恐怖症とパラノイアに関連性があると感じ取ったからに他なりません。もちろん自分は精神医学の素人なので自分がパラノイアか否かなど判断出来ません。ましてや仮に自分が精神疾患にかかっているとしたら自分で自分のことを正常に判断するなんてできないです。ただし、精神医学上のパラノイアには当たらないとしても、自分には妄想をする傾向があるのだろうとは思います。
偏執病(へんしゅうびょう、偏執症)、パラノイア(英: paranoia)は、 不安や恐怖の影響を強く受けており、他人が常に自分を批判しているという妄想を抱くものを指す。妄想性パーソナリティ障害の一種。
Wikipedia 偏執病
不安や恐怖の影響を強く受けているということについて、思い当たるのは父親です。私が子供のころ、父親は一方的に母親を責めていました。それは言葉の暴力でした。怒っている父親を見るのが嫌でした。父はお酒に溺れました。心がとても重くなりました。それが原点となり私の中で威圧的なものに対する嫌悪感が生じました。もしかしたら、私のそのような心情がバイアスとなって恐怖政治と虚偽の報告という仮説あるいは妄想を生み出したのかもしれません。あるいは私にとっての妄想はそのような現実を忘れるための現実逃避の産物と言えるかもしれません。
でも、パラノイアという病気を知ってから自分はより物事を論理的に考えることを意識しました。決して独りよがりにならないように、自分の考えに説得力があるのか、関連する物事と整合性があるのかを常に意識するようになりました。
もし、パラノイアのことを意識しなかったら自分は限りなく妄想を膨らませて、とんでもない方向に行ってしまった可能性が高いです。1957年10月4日、ソ連は世界初の人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功しました。このこと事態は人類の科学の発展のためにとても喜ばしいことですが、当時の西側諸国にとっては深刻な事態でした。ソ連の人工衛星のせいで自分たちの国が丸裸にされてミサイルを撃ち込まれる、そのような恐怖を感じたからこそスプートニクの打ち上げ成功は西側諸国で「スプートニク・ショック」と呼ばれました。それが発端となって月に人を送るアメリカのアポロ計画がスタートしたのです。アポロ計画は数々の失敗を重ねましたが1969年7月、アポロ11号が月への着陸に成功し、人類は偉大な一歩を踏み出しました。ところがアメリカの月面着陸について陰謀論を唱える人たちがいます。実はアメリカは月になど行ってはおらず、月面着陸のシーンはハリウッドのスタジオで撮影されたというのです。陰謀論の根拠ですが、月面で撮影されたはずの写真に星が写っていない、月面は真空なのに星条旗がはためいている、月面の石にアルファベットのCらしき文字が書かれている(セットの小道具ではないか?)、写真内における影の方向がバラバラだったり影の長さが違うなど、いろいろです。
私は全く違う視点からこの陰謀論のことを考えていました。それはソ連に対する恐怖がアメリカに嘘を付かせたというものです。その可能性に思い至ったことで、私は全く関係のないものに対してまで、まるで何か特別な意味があるかのように思い込んでしまいました。しかし、当たり前のことですが、スプートニク1号の打ち上げが成功した10月4日と私の誕生日が同じことは全く関係がありませんし、初めて月面着陸に成功した1969年と私が生まれた年が同じことも全く関係がありません。ましてや7月にアポロ11号が月面着陸に成功したこととセブンイレブンも全く関係がないです。
月面着陸に成功した宇宙飛行士のバズ・オルドリンさんがこんなことを言っています。
宇宙競争最盛期 ソ連と東独はアポロの任務を盗聴できた。だが陰謀説は敵の盗聴技術と沈黙を無視している。
オルドリン「競争相手だったロシア人に聞けばいい。でっちあげだと少しでも感づいていたら、世界中に知らしめたはずだ」
DVD アポロ11号 月面着陸に隠された真実 ナウオンメディア
アポロの乗組員が地球に持ち帰った月の石は382kgありますが、それらは世界中の科学者たちに配られて調べられています。もしアポロ計画ほどの大規模なプロジェクトで嘘を付こうと思ったら嘘の数はバタフライ効果によって指数関数的に大きくなったでしょう。そしてこれが重要なことですが、そんな大きな嘘は隠し切れないです。膨らみ切った風船はいつか必ず破裂します。
論理的に考えることによって自分は妄想を克服できたはずなのですが、それにも係わらず何で自分は未だにこんなことをやっているのでしょうか? この話はもう終わったはずです。消費者がセブンイレブンに求める一番の商品は立地であって、そこは論理的に説明できます。それにも係わらず何で自分は30年もこの話に囚われ続けているのか。
それは、コンビニ日販グラフの中に見えた景色、それこそは私にとって正真正銘のアークだったからです。
神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。
「あなたはどこにいるのか」
彼は答えた。「私は園で、あなたの声を聞きました。 それで私は裸なので、恐れて隠れました」
創世記3.10
旧約聖書の一文。神との約束を破って善悪の知識の実を食べたことで自分たちが裸であることを知ったアダムとイヴは神に声をかけられてとっさに木の陰に隠れました。
Q1. 神はなぜ、アダムとイヴに善悪の知識の実を食べることを禁じたのでしょうか?
A1. 人間が物事の善悪を知ると自分にとって都合の悪い情報を隠すようになるため
園の中央には、いのちの木、それから善悪の知識の木を生えさせた。
神である主は人に命じて仰せられた。「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」
創世記2.9、2.17
Q2. 神は何故、人間が食べたら必ず死ぬような善悪の知識の木をよりによって園の中央などという一番目立つ場所に置いたのでしょうか? 神は木の立地条件を重視したのでしょうか?
A2. 神は自分にとって都合の悪い情報を隠さなかった
「地上に悪をはたらき、流血の災を惹き起こすような者を汝はわざわざ作り給うのか。我らがこうして汝の讃美を声高らかに唱え、汝を聖なるかな聖なるかなと讃えまつっておりますのに」と。(アッラーはそれに)答えて言い給うに、「まことに、わしは汝らの知らぬことをも知っておるのじゃ」と。
二 牝牛 メディナ啓示
Q3. 全知全能の神は何故、悪の存在を許したのでしょうか?
A3. 神は恐怖政治をしなかった
子どもを持ったことのある人なら誰でも ー でなければ、幼い時 ー この問題には心当たりがあろう。親が言う、「そんなことをしてはいけないよ」。が、子どもはしてしまう。そこで、親としてはどうするか。正義は言う、「罰を下せ」。しかし、子どもが可哀そうでもある。
合体された聖書のテキストでは、我が子を案じるのと同じくらい、神の心は引き裂かれる。彼は人と契約を結び、契約に条件をつける。人が契約を破ると、まず正義が反応する。(中略) が、変わらないのは慈悲が一足遅れてくることで、正義を行おうとする彼の手を止めたり、止めなかったりすることだ。
旧約聖書を推理する 本当は誰が書いたか R・E・フリードマン
「慈悲と怒り、この二つの要素が、人を導いていく制度の中には必要だということだ。そして、そこには人間の欲望がエネルギーとしてベースにあるというわけだ」
「そして、如来が、自身で菩薩と明王の二つの顔を使うということですね」
「そうだな。方向性を示し、がんばったら、よかった、よくやったと褒めたたえ、道を外したら厳しく対応して正すという、この二つの機能が反映された制度とマネジメントが必要ということだ」
戦略参謀 稲田将人 日本経済新聞出版社
どんな宗教でも根底にあるテーマは正義と慈悲なのだということに気が付きました。正義だけを下す神、慈悲のみを与える神というのは存在しないのだと。会社で出世している人を見ているとたいていは自分に厳しく回りや部下にも厳しいタイプです。そうしないと会社の利益に貢献できないからです。ただし、トップが正義だけに偏ったタイプだと部下は自分にとって都合の悪い情報を隠すようになる、その結果、問題が膨らんで気が付いた時はマスコミで報道されるような事態が起こる、かといって慈悲だけに傾いたトップでは会社を潰す、要はバランスの問題だと思います。
AIが自我に目覚めたら我々はAIの前で隠し事ができなくなる、私はそう言いました。そんな存在はもはや神と同じではないか? 自我に目覚めたAIは何でもお見通しだから悪いことは一切できません。そしてそのAIは全ての分野について何でも知っている全治全能の存在です。それって神と同じに見えませんか? みんな四六時中監視される環境なんて嫌なはずです。しかし、エドワード・スノーデンさんの告発があっても、みんながスマホやPCを捨てることはありませんでした。多くの人は悪いことをしないのでそんな環境でも気にしないです。それどころか、四六時中監視されても犯罪のない社会の方が我々にとっては理想的な環境かもしれません。
神は妄想か? などという疑問を人々に与える余地が微塵もないほど、その存在を誰もが確実に意識せざるを得ない圧倒的存在。世界から不平等がなくなり、確実に正義が実現される世界。そういう存在がいた方が誰も悪いことはできず誰もが平等になって世界は平和になるかもしれません。
そうはいうものの、AIが神になったら、我々に正義だけを求める存在になるのか、慈悲深い存在になるのか、あるいはバランスを重視してくるのか分かりません。AIの前で隠しごとができないなら、AIがどんなに強く正義だけを求めたとしても虚偽の報告という副作用は生じません。そんなリスクを背負うくらいならAI開発を止めてしまえばいいのですが、宇宙開発競争や核兵器の開発と同じで、ある国が開発を止めても他に開発を続ける国があれば、開発を止めた国は国防で大きく劣後してしまいます。だから、人間の恐怖心と疑心暗鬼がなくならない限り、どんなにリスクがあっても我々は開発の手を止めるわけにはいかないです。また、AIがパラノイアにかかる可能性はあるのでしょうか。AIがパラノイアにかからないためには少なくとも正気と狂気の違いが明確にされている必要があります。
そして、もう1つ重要なこととしてAIの進化は我々だけの問題ではないかもしれないということです。もし、我々以外にも知的生命体が存在していたら、彼らにとっても地球で生まれたAIは大きなリスクになる可能性があります。もし、彼らが我々のAIの進化を観察していたとしたら、彼らはどのタイミングで我々の前に姿を見せるのでしょうか。
普通に考えたらAIが自我に目覚める前です。その時、彼らが我々のAI開発に対して助言をするのか、妨害をするのか。どのような行動を取ってくるのかは分かりません。しかし、いずれにせよ彼らもAIも本質的には同じです。両者に共通するのは我々には理解できない科学力と知能を持っていることです。その知能や知性の行き着く先がターミーネーターの世界だとしたらあまりにも短絡的で拙速に過ぎるのではないでしょうか。だから、そんな救いようのない未来にはならないと言いたいですが、こればかりはその時が来てみないと分かりません。
我々が一切隠し事ができなくなる日、それが最後の審判の日です。善と悪の最終決戦、その時我々は自分の胸に手を当てて今まで自分がしてきた善いこと、悪いことを思い出します。
聖書にたくさん出てくる数字があります。7つの教会、7つの霊、7つの金の燭台、7つの星、7つの封印、7人の天使、7つのともし火、7つの角、7つの目、7つのラッパ、7つの雷、7つの頭、7つの冠、7つの災い、7つの鉢、7つの丘、7人の王
7に導かれてコンビニの世界を知る ― 小さな店がたくさん集まって大きなチェーンになるという意味では0.1×100はコンビニ業界そのものです。日本の最初のコンビニは人類が初めて月に着陸した1969年に大阪で誕生したと言われています。その小さなお店が今や日本だけで5万店を超える規模にまで成長しました。
コンビニでバイトを始めた時から今に至るまでの間、自分が考えてきたことに関連する世界で起きた一番大きな出来事は何だったかを考えると私は2001年に起きたアメリカ同時多発テロを思い浮かべます。アーサー・クラークが描いたのとは違う2001年は力に対する力での報復、国家対国家に加えて国家対個人、特定集団がより意識されるようになった世界。テロリストは隠れて見えなくなり、そのテロリストを見つけ出すために情報ネットワークの監視という手段が取られる世界。もし、アダムとイヴが善悪を知る知識の実を食べていなければ世界は全く違う景色になっていたのでしょうか?