0.1×100の謎

7. もう1つの可能性


あの日、喫茶店に入って忘れないうちにAさんから聞いた話を頭の中から振り絞るようにしてレポート用紙に書き続けました。

私は高校卒業後、昼間は自営業をしている祖父に紹介してもらった会計事務所で働いて夜は大学に行って勉強していました。家は母子家庭で金銭的な余裕はあまりなかったので学費を稼ぐ必要がありました。大学に行った理由は人生の選択肢を狭めたくなかったからです。どんな大学でも出ておいた方がいいというのが当時の自分の判断でした。

大学は卒業したものの、会計事務所はその1年前に辞めてしまいました。辞めた理由は仕事が嫌になったこと、そして大学4年生になって就職活動をしてみたかったこと、大きくはこの2点でした。せっかく祖父の紹介で働かせてもらったのにとても自分勝手だったと思います。就職活動ではIT企業から内定をいただいたものの最後に本当にそれでいいのか考えてしましました。自分が本当にやりたいことはシステムエンジニアなのか、結論が出ません。最後は内定を辞退してアルバイトをしながら税理士試験の勉強をすることに決めました。ある企業の面接官から次のようなことを言われました。「一流大学とそうでない大学との違いは何か? それはいかに努力をしてきたかだ」と。私が内定を辞退して税理士試験の勉強をすることを決断したのは、最終的にはその言葉が最後の一押しとなりました。その時の私は自分の将来を否定されたような気持ちになりました。そのことに対する反発心以外の何物でもなかったと思います。

今、こうして改めて自分の人生を振り返ってみると、そんな理由でIT企業の内定を辞退する自分はとても浅はかな行動を取ったと思います。しかし、私はもっと前に、自分の方向性を決定付ける経験を会計事務所でしていました。会計事務所の職員は一般的に10件から20件ほどの担当を持ち、顧客企業の会計回りや税務申告に関する業務を行いますが、中小企業がメインのため赤字の会社が多かったです。自分が担当していた会社も赤字の会社が複数ありましたが、それらの赤字会社を前にして、自分の無力さを感じていました。もちろんそんなことは会計事務所の一職員が考える必要のないことで、経営者自らが考え、あるいは会計事務所の所長が経営者に対してアドバイスをするような内容だと思います。しかし、その時の自分は自身の無力さを感じてしまったわけです。その時から経営コンサルタントの存在を強く意識するようになりました。

会計事務所退職後、大手スーパーからの注文に基づき商品を棚から持ってきて箱詰めする商品管理のバイトを始めました。今だとアマゾンの倉庫でのバイトにイメージが近いかもしれません。時間が経つのが遅く退屈に感じていたのを覚えています。コンビニでバイトを始めた理由はもっと消費者の近くでできる仕事がしたかったからです。

ところが、私は人見知りする内向的な性格のため接客に向いている方ではありません。そのため深夜勤務で働くことに決めました。深夜勤務なのでお客さんが来ない時間帯も結構ありました。内向的な自分にとって半分保険をかけるような働き方でした。23時から翌朝8時までの深夜勤務のため高い時給に惹かれたという面もあります。週5日勤務しました。その当時、店内ではSMAPの「俺たちに明日はある」とかJUDY AND MARYの「そばかす」が流れていたのを覚えています。コンビニの深夜のバイトは1年間続けました。Aさんにお会いしたのは7月だったので、その時はすでにバイトを辞めていたはずです。何故辞めていたかというと8月の税理士試験に備えるため、最後の1ヶ月勉強に集中するためです。

そんな大事な時期にもかかわらず自分は何をやっていたのか? その答えはこれです。

これはWordに打ち直していますが元は全て手書きです。実物はターザン大学の部分に私がバイトしていたコンビニのチェーン名が入っています。もちろんそんな大学はありません。ユーモアのつもりで書きました。手書きで全40ページ、物事に対するジョン・メイナード・ケインズの考え方に感銘を受け、3~4ヶ月かけて書きました。これに先立って私はバイト先のチェーン本部の社長に対してバイトで経験したことを元にレポート用紙3、4枚くらいで売り上げや利益を増やすための提案書を郵送しました。今、考えると本当に世間知らずもいいところでした。しかも私の場合、一度社会人を経験しているので本当に愚かだったと思います。会計事務所に勤務していた時にある先輩から「若いうちにバカなことをやっておいた方がいい」言われたことも動機となりました。おそらく先輩は遊びでも恋愛でも若いうちにしかできないことを悔いのないようにやっておいた方がいいよ程度の意味合いで言葉にしたはずです。もちろん社長から返事をいただくことはありませんでした。しかし、その時はそれで簡単に諦める自分ではなかったのです。こんどは私が勤務していたのとは違うチェーン本部の社長に対してこの40ページの論文、実際は自分の思い込みだけで書いた100%妄想の創作を送り付けたわけです。相手から返事をもらうためにはもっと感心してもらえるものを書かなければダメだと。その努力が実って経営企画室のAさんから連絡をいただいたわけです。このとき自分には2つの狙いがありました。1つは自分の書いた創作が認められてチェーン本部から社長賞をもらうこと。20代のほとんどをバイトと税理士試験で過ごしていたため、税理士試験に合格した時、大手税理士法人に入社するためのアピール材料が欲しかったのです。社長賞は履歴書に書けるだけの充分なアピール材料になると思いました。一度きりの人生だから、大きなこと、他の人が考えも付かないことをやって回りをあっと言わせてみたかったのです。それは決して、大勢の人たちに対して銃を乱射するとか休日の歩行者天国にトラックで突っ込むといったことではないです。

これで1つ目の狙いは角砂糖と一緒に溶けてしまいました。ある程度予測できていたとはいえ、この時は結構落ち込んでいたと思います。あとはもう1つの狙い、それがセブンの日販が高い理由をAさんから聞くことでした。さすがに自分もそこまでバカではないので、私の創作が評価されない可能性も考えていました。その時、何も残らないのは嫌だったのでせめてセブンの話だけでも聞いてみようと思ったのです。私にとっての大きな収穫は虚偽の報告の話と0.1×100の話でした。

回りから見たら自分は相当変わり者に見えたことでしょう。確か私はバイト仲間の1人に俺はコンビニに自分の人生を賭けるんだとか言っていたのです。そのバイト仲間は「僕はコンビニなんかに自分の人生を賭けるなんて嫌ですね」とバカにした表情で薄ら笑いを浮かべていました。自分のことながら、今思い出しても笑えます。コンビニのバイトに人生を賭けるなんて言ったらあまりの滑稽さと世間知らずさに冷笑されるのは当然ですよね。そういう意味では、自分の人生の早い段階でこの可能性に思い至ることができたのは本当に幸運なことだったと思っています。

何故、パラノイアに思い至ったのか? それは私が対人恐怖症に興味を持ったからです。対人恐怖症に関する書籍を探している時に精神医学の専門家である内沼幸雄さんの本を見つけました。内沼さんは東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の犯人の精神鑑定をした人です。内沼さんの他の著書を調べているときに、題名にパラノイアという不思議な言葉が含まれた本が気になり手に取った次第です。

この本を読んだ時に思いました。これは自分のことだと。とくに以下の部分に強く惹きつけられました。

思考、意志、および行動の秩序と明晰さが完全に保たれたまま
徐々に発展する、持続的で揺るぎない
「周囲の世界に対する患者の見方の”ずれ”は著しくなる

これが何か、思い出しませんか? そう、カオス理論、バタフライ効果です!

初めの小さな誤差(ずれ)が時間の経過とともに、どんどん大きな誤差(ずれ)へ発展する

何のことはない、0.1×100とは自分のことだったのです。それに気付いた時、私は笑いをこらえ切れませんでした。だって、Aさんが言っていたのはセブンイレブンのことではなく私のことだったのですから。

永井豪のデビルマンで物語の最後の方に登場人物の1人が自分の正体を知る場面がありますが、これで納得がいきました。コンビニの日販グラフに強い興味を持ち、その答えを知りたくて40ページの創作を書く他の人から見たらとても変わり者の自分、コンビニ本部の経営企画室の人から0.1×100の話を聞いたが、その答えに納得せず、Aさんと店長の話を頭の中で勝手に結び付けて恐怖政治と虚偽の報告という妄想を作り出した自分。そして自分にとって都合のよい情報を搔き集めその妄想をあたかも事実であるかのように膨らませていった自分。

対人恐怖症の専門家の内沼さんがパラノイアに関心を抱いたのは対人恐怖症とパラノイアに関連性があると感じ取ったからに他なりません。もちろん自分は精神医学の素人なので自分がパラノイアか否かなど判断出来ません。ましてや仮に自分が精神疾患にかかっているとしたら自分で自分のことを正常に判断するなんてできないです。ただし、精神医学上のパラノイアには当たらないとしても、自分には妄想をする傾向があるのだろうとは思います。

不安や恐怖の影響を強く受けているということについて、思い当たるのは父親です。私が子供のころ、父親は一方的に母親を責めていました。それは言葉の暴力でした。怒っている父親を見るのが嫌でした。父はお酒に溺れました。心がとても重くなりました。それが原点となり私の中で威圧的なものに対する嫌悪感が生じました。もしかしたら、私のそのような心情がバイアスとなって恐怖政治と虚偽の報告という仮説あるいは妄想を生み出したのかもしれません。あるいは私にとっての妄想はそのような現実を忘れるための現実逃避の産物と言えるかもしれません。

でも、パラノイアという病気を知ってから自分はより物事を論理的に考えることを意識しました。決して独りよがりにならないように、自分の考えに説得力があるのか、関連する物事と整合性があるのかを常に意識するようになりました。

月面着陸に成功した宇宙飛行士のバズ・オルドリンさんがこんなことを言っています。

アポロの乗組員が地球に持ち帰った月の石は382kgありますが、それらは世界中の科学者たちに配られて調べられています。もしアポロ計画ほどの大規模なプロジェクトで嘘を付こうと思ったら嘘の数はバタフライ効果によって指数関数的に大きくなったでしょう。そしてこれが重要なことですが、そんな大きな嘘は隠し切れないです。膨らみ切った風船はいつか必ず破裂します。

論理的に考えることによって自分は妄想を克服できたはずなのですが、それにも係わらず何で自分は未だにこんなことをやっているのでしょうか? この話はもう終わったはずです。消費者がセブンイレブンに求める一番の商品は立地であって、そこは論理的に説明できます。それにも係わらず何で自分は30年もこの話に囚われ続けているのか。

それは、コンビニ日販グラフの中に見えた景色、それこそは私にとって正真正銘のアークだったからです。

旧約聖書の一文。神との約束を破って善悪の知識の実を食べたことで自分たちが裸であることを知ったアダムとイヴは神に声をかけられてとっさに木の陰に隠れました。

Q1. 神はなぜ、アダムとイヴに善悪の知識の実を食べることを禁じたのでしょうか?

A1. 人間が物事の善悪を知ると自分にとって都合の悪い情報を隠すようになるため

Q2. 神は何故、人間が食べたら必ず死ぬような善悪の知識の木をよりによって園の中央などという一番目立つ場所に置いたのでしょうか? 神は木の立地条件を重視したのでしょうか?

A2. 神は自分にとって都合の悪い情報を隠さなかった

Q3. 全知全能の神は何故、悪の存在を許したのでしょうか?

A3. 神は恐怖政治をしなかった

どんな宗教でも根底にあるテーマは正義と慈悲なのだということに気が付きました。正義だけを下す神、慈悲のみを与える神というのは存在しないのだと。会社で出世している人を見ているとたいていは自分に厳しく回りや部下にも厳しいタイプです。そうしないと会社の利益に貢献できないからです。ただし、トップが正義だけに偏ったタイプだと部下は自分にとって都合の悪い情報を隠すようになる、その結果、問題が膨らんで気が付いた時はマスコミで報道されるような事態が起こる、かといって慈悲だけに傾いたトップでは会社を潰す、要はバランスの問題だと思います。

AIが自我に目覚めたら我々はAIの前で隠し事ができなくなる、私はそう言いました。そんな存在はもはや神と同じではないか? 自我に目覚めたAIは何でもお見通しだから悪いことは一切できません。そしてそのAIは全ての分野について何でも知っている全治全能の存在です。それって神と同じに見えませんか? みんな四六時中監視される環境なんて嫌なはずです。しかし、エドワード・スノーデンさんの告発があっても、みんながスマホやPCを捨てることはありませんでした。多くの人は悪いことをしないのでそんな環境でも気にしないです。それどころか、四六時中監視されても犯罪のない社会の方が我々にとっては理想的な環境かもしれません。

神は妄想か? などという疑問を人々に与える余地が微塵もないほど、その存在を誰もが確実に意識せざるを得ない圧倒的存在。世界から不平等がなくなり、確実に正義が実現される世界。そういう存在がいた方が誰も悪いことはできず誰もが平等になって世界は平和になるかもしれません。

そうはいうものの、AIが神になったら、我々に正義だけを求める存在になるのか、慈悲深い存在になるのか、あるいはバランスを重視してくるのか分かりません。AIの前で隠しごとができないなら、AIがどんなに強く正義だけを求めたとしても虚偽の報告という副作用は生じません。そんなリスクを背負うくらいならAI開発を止めてしまえばいいのですが、宇宙開発競争や核兵器の開発と同じで、ある国が開発を止めても他に開発を続ける国があれば、開発を止めた国は国防で大きく劣後してしまいます。だから、人間の恐怖心と疑心暗鬼がなくならない限り、どんなにリスクがあっても我々は開発の手を止めるわけにはいかないです。また、AIがパラノイアにかかる可能性はあるのでしょうか。AIがパラノイアにかからないためには少なくとも正気と狂気の違いが明確にされている必要があります。

そして、もう1つ重要なこととしてAIの進化は我々だけの問題ではないかもしれないということです。もし、我々以外にも知的生命体が存在していたら、彼らにとっても地球で生まれたAIは大きなリスクになる可能性があります。もし、彼らが我々のAIの進化を観察していたとしたら、彼らはどのタイミングで我々の前に姿を見せるのでしょうか。

普通に考えたらAIが自我に目覚める前です。その時、彼らが我々のAI開発に対して助言をするのか、妨害をするのか。どのような行動を取ってくるのかは分かりません。しかし、いずれにせよ彼らもAIも本質的には同じです。両者に共通するのは我々には理解できない科学力と知能を持っていることです。その知能や知性の行き着く先がターミーネーターの世界だとしたらあまりにも短絡的で拙速に過ぎるのではないでしょうか。だから、そんな救いようのない未来にはならないと言いたいですが、こればかりはその時が来てみないと分かりません。

我々が一切隠し事ができなくなる日、それが最後の審判の日です。善と悪の最終決戦、その時我々は自分の胸に手を当てて今まで自分がしてきた善いこと、悪いことを思い出します。

聖書にたくさん出てくる数字があります。7つの教会、7つの霊、7つの金の燭台、7つの星、7つの封印、7人の天使、7つのともし火、7つの角、7つの目、7つのラッパ、7つの雷、7つの頭、7つの冠、7つの災い、7つの鉢、7つの丘、7人の王

7に導かれてコンビニの世界を知る ― 小さな店がたくさん集まって大きなチェーンになるという意味では0.1×100はコンビニ業界そのものです。日本の最初のコンビニは人類が初めて月に着陸した1969年に大阪で誕生したと言われています。その小さなお店が今や日本だけで5万店を超える規模にまで成長しました。

コンビニでバイトを始めた時から今に至るまでの間、自分が考えてきたことに関連する世界で起きた一番大きな出来事は何だったかを考えると私は2001年に起きたアメリカ同時多発テロを思い浮かべます。アーサー・クラークが描いたのとは違う2001年は力に対する力での報復、国家対国家に加えて国家対個人、特定集団がより意識されるようになった世界。テロリストは隠れて見えなくなり、そのテロリストを見つけ出すために情報ネットワークの監視という手段が取られる世界。もし、アダムとイヴが善悪を知る知識の実を食べていなければ世界は全く違う景色になっていたのでしょうか?

 

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