0.1×100の謎

4. 背景にあるもの


この時から私の興味の対象は恐怖政治と虚偽の報告に移りました。そして私はこのテーマを深掘りしていきました。例えば、Aさんのお話の中での虚偽の報告は社内における従業員の嘘がテーマになっていましたが、このテーマは従業員だけに関係することではないことに気付きました。実は経営者にも関係するテーマです。経営者にも怖いものは存在します。そのうちの1つが株主や親会社です。

  1. エンロンの粉飾決算は経営陣の私利私欲による株価高騰が目的でした。数々の粉飾決算や食品偽装事件等のほとんどが経営陣が最初から関与していたものと思われます。自分自身の今までのサラリーマンとしての経験を通して思うことは、ベアリングス銀行の経営破綻などごく一部の例外を除けば、そもそも一従業員の立場ではそんなに大きな問題をいつまでも隠して通しておけるものではないということです。その意味で虚偽隠蔽は従業員によるものよりも、経営陣によるものの方が企業や社会に与える影響が大きいです。
  2. 企業業績の開示頻度や開示項目の増加により多くの経営者が長期的視点を持てなくなり短期に結果を出さなければならないというプレッシャーが一層増している可能性があります。

経営者にとって怖い存在は株主や親会社だけではありません。それは消費者(顧客)です。特に日本の消費者は厳しいという特徴があります。

官公庁による行政指導なども経営者にとって恐怖の対象となります。私はこれらのことを総合的に考えて、プレッシャーの構造を図にしてみました。

このように総合的に考えることによって、いつしか私は恐怖政治の問題について日本社会の背景に独特な問題が存在するのではないかと考えるようになりました。ただし、株主が経営者に与えるプレッシャーについては日本だけの問題ではありません。それは資本主義を前提とする国家であればどこの国にも存在する問題です。

一方、消費者の問題についてはどうでしょう。日本の消費者は厳しいというのが本当なら、ここは何か日本独特の背景がありそうです。近年、ニュースでよく耳にするカスタマーハラスメントが頭に思い浮かびます。

何故、日本の消費者は厳しいのか? ここで先ほどの話がつながってきます。良い評価を得るためのハードルは高くその逆は低い。問題は何故、「日本の消費者だけが」というところですが、正直申し上げると明確な答えは出せていません。可能性の1つとして考えられるのが日本が資源のない貿易立国だからということです。資源もない食料自給率も低い国で外貨を稼がなければならないという脅迫観念が製造業を始めとする各企業に脈々と受け継がれていて、それが高品質な製品を生み出さなければならないという強いプレッシャーにつながっていく。そのような環境下で高品質な製品に囲まれた日本の消費者の目が肥えていき商品やサービスに対する厳しい評価を持つようになっていったのではないかというのが私の仮説です。

そうした状況で他者への寛容性が低くなると、どのようなことが起こるかということを考えた時、それらしいものが見つかりました。

上記は対人恐怖症に関する説明です。よく海外の人から言われるのは日本人はシャイだというものです。ここから連想する日本人のステレオタイプとして集団主義、本音と建前、根回し、出る杭は打たれる、島国根性、義理と人情、タテ社会、言わなくても察する、KY(空気読めない)などが私の頭に思い浮かびます。

他者との人間関係を重視する社会では中間集団(無関係集団と親密集団の間)の中では本音でものを話しずらくなる、そうした土壌が他の文化圏と比べて虚偽の報告や隠蔽を増加させている可能性があるんじゃないか?と私は考えました。

こうした土壌は国、企業、地域によって差が生じます。基本的に向こうの人はフレンドリーです。ジェットコースターに乗った時、自動的に乗客の顔を撮影して写真が欲しい人はお金を払って写真を買うサービスがありますが、アメリカで画面に映った私の顔を見た女性が私に「あなた、すごい顔してるわよ」と微笑みながら私に話しかけてきました。別の女性は「あなた日本人?私の弟は沖縄に住んでいるのよ」と話かけてきました。イタリアでつれがレストランで眠ってしまった時に、ウェイトレスの女性がつれの頭の上に小さな小皿を置くというユーモラスな行為をしてくれました。最近シンガポールに出張した時、サッカーをやっている学生の集団がエレベーターの中で私に「あなたのスーツはかっこいいね」と話しかけてきました。

私は虚偽の報告の背景に対人恐怖症のにおいを嗅ぎ取ったわけですが、これは精神医学の分野になります。そして対人恐怖症のような精神疾患を精神医学の世界では文化依存症候群というグループに分類しています。文化依存症候群というのは、ある地域、民族、文化環境において発生しやすい精神疾患のことを意味します。例えば韓国の文化依存症候群は、火病です。

そしてこの火病のイメージに合う一番分かりやすい事例が以下の記事です。

この記事は恐怖政治と虚偽の報告の関係を考えるにあたって、とてもストレートな内容でした。ところで、1つ気を付けなければいけないのは韓国人がみんな火病というわけでなく、韓国人全体のごく一部に過ぎないと思います。それは日本人についても当てはまります。対人恐怖症なのは日本人のごく一部に過ぎないと思います。しかし、ごく一部の人たちであっても、ある社会が他ではあまり見られない独特の症状を持つ人たちを毎年一定数生み出しているということが重要です。対人恐怖症患者を生み出す社会の背景に存在するものは何か? そのような人たちを生み出した背景がその国の文化にあるのだとしたら自分自身は文化依存症候群でなくても、その背景は無意識のうちに我々の思考や行動に大なり小なり影響を与えているはずです。しかし、我々が意識していないのであれば我々にはその背景が見えないのかもしれません。だからこそ、外の目には大きなヒントがあります。

デュラン・れい子さんとサッカー日本代表元監督オシムさんの話から連想するキーワードはタテ社会です。タテ社会というと私が真っ先に連想したのは敬語でした。敬語というのは日々生活を送る上で相手が自分より年上か年下か同じか、どれくらい付き合いがある人か、身内か否かなど人とコミュニケーションする際に常に意識せざるを得ないものです。まあ、普段生活を送る上で、日本人であればその判断をほぼ瞬時に行っているのだと思いますが。企業によっては役職で呼ばないで社内は全てさん付けにしている会社もあります。さん付けにする意義はコミュニケーションです。なるべく上下の関係を意識させないようにし、フラットでものが言いやすい風通しの良い社風にするという狙いがあります。虚偽の報告対策の重要なポイントとして風通しのよい組織にするというのが大きなキーワードだと思いますが、そもそも日本社会や文化に風通しを悪くする要因があると、組織のトップがどんなに旗を振っても風通しは完全には良くならないかもしれません。かといって今さら敬語を無くすなんてことをしたら社会は大混乱しますし、感情的な問題が大きくなって絶対にうまくいかないでしょう。それに風通しをよくしてコミュニケーションを活発にするための解決策が敬語を無くことかというと、そこは本質的な対策ではないような気がします。本質的なことは人にものを言いにくくしていること、それは体制であったり、社風であったり、他者への寛容性の度合いなど、根本的な原因に目を向ける必要があると思います。敬語が存在しない国にも風通しの悪い組織というのはあるわけですから。ガーディアンやタイムズが言うように文化のせいにしてはいけないというのも重要な指摘ですが、では文化の影響はどの程度あったのかというのも気になるところです。

日本人であれば誰しも空気を読むという言葉はこれまで何度も耳にしたことがあると思いますが、しかし、原発のように高レベルのリスク管理が求められる施設で簡単に空気を読んでしまうわけにもいかないはずです。そこで原発導入を進めるために現実的ではない厳しい基準を設けたというのが実態ではないかと、私はそのように考えました。その結果、現実的ではない厳しい基準を守ることができずに都合の悪い情報を隠すことになってしまうのではないでしょうか。ところでこのサイトで取り上げた個々の事案の内容、狂牛病騒動とか原発問題そのものをここで議論したいわけではないのでご了承ください。あくまでも私の仮説に関係しそうなものをここで事例として取り上げて日本社会に存在する可能性がある背景を探っています。

このように私は自分の仮説「セブンイレブンの売上が高い理由は他のチェーンよりも虚偽の報告が少ないからだ」の確からしさを着々と積み重ねていきました。しかし、これを立証するのはとても大変なことです。私の仮説を立証するためにはいったい何が必要なのでしょうか?

ここで皆さんに質問です。
皆さんは普段、どこのコンビニを利用していますか?

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