何故、日本の消費者は厳しいのか?
この時から私の興味の対象は恐怖政治と虚偽の報告に移りました。そして私はこのテーマを深掘りしていきました。例えば、Aさんのお話の中での虚偽の報告は社内における従業員の嘘がテーマになっていましたが、このテーマは従業員だけに関係することではないことに気付きました。実は経営者にも関係するテーマです。経営者にも怖いものは存在します。そのうちの1つが株主や親会社です。
- エンロンの粉飾決算は経営陣の私利私欲による株価高騰が目的でした。数々の粉飾決算や食品偽装事件等のほとんどが経営陣が最初から関与していたものと思われます。自分自身の今までのサラリーマンとしての経験を通して思うことは、ベアリングス銀行の経営破綻などごく一部の例外を除けば、そもそも一従業員の立場ではそんなに大きな問題をいつまでも隠して通しておけるものではないということです。その意味で虚偽隠蔽は従業員によるものよりも、経営陣によるものの方が企業や社会に与える影響が大きいです。
- 企業業績の開示頻度や開示項目の増加により多くの経営者が長期的視点を持てなくなり短期に結果を出さなければならないというプレッシャーが一層増している可能性があります。
経営者にとって怖い存在は株主や親会社だけではありません。それは消費者(顧客)です。特に日本の消費者は厳しいという特徴があります。
セブン&アイ・ホールディングスの鈴木敏文会長は中央大学の出身で、この間まで大学の理事長もされていたのですが、鈴木氏は、日本の消費者はジャケットのボタンホールのかがりが少しずれているだけで、「不良品だ」と言って返品すると言っていますね
読売IS Communication Magazine perigee 第5号 中央大学商学部教授 三浦俊彦
結局、男性向けの商品を買うのも、奥さんなど女性がほとんどなんです。日本の女性というのは、世界で一番厳しい消費者です(笑)
VOICE 2005.6 主婦が作った無印良品
日本市場は我々が思っていた以上に複雑でした。非常に成熟した国です。人々は世界中の商品やサービス、品質、値段において熟知しており、すべてにおいて高いレベルを求めます。日本人は世界で最も攻略の難しい消費者だと思います
日経ビジネス2005.4.11 敗軍の将、兵を語る。カルフールアジア地区CEO フィリップ・ジャリー
例えばいま大騒ぎになっている賞味期限や消費期限に対する問題に見られるような過剰なまでの鮮度を含めた品質要求、あるいは原材料や産地へのこだわりといった状況も、恵まれた与件の中で許されたぜいたくな消費と言えるかもしれない。作り手、売り手が嘘をついてまで消費者に受け入れられようとしてきたのは、消費者の価値への高い要求があったからで、しかしこれに応えるには大変なコストを伴うために、それが損得に合わないと考えたところは嘘をついたりごまかしをやったわけです
VALUE CREATOR 2008.1 第1章 2008年とそれ以降、消費と流通に影響を与えるこんなメガトレンドがある
官公庁による行政指導なども経営者にとって恐怖の対象となります。私はこれらのことを総合的に考えて、プレッシャーの構造を図にしてみました。
このように総合的に考えることによって、いつしか私は恐怖政治の問題について日本社会の背景に独特な問題が存在するのではないかと考えるようになりました。ただし、株主が経営者に与えるプレッシャーについては日本だけの問題ではありません。それは資本主義を前提とする国家であればどこの国にも存在する問題です。
一方、消費者の問題についてはどうでしょう。日本の消費者は厳しいというのが本当なら、ここは何か日本独特の背景がありそうです。近年、ニュースでよく耳にするカスタマーハラスメントが頭に思い浮かびます。
何故、日本の消費者は厳しいのか? ここで先ほどの話がつながってきます。良い評価を得るためのハードルは高くその逆は低い。問題は何故、「日本の消費者だけが」というところですが、正直申し上げると明確な答えは出せていません。可能性の1つとして考えられるのが日本が資源のない貿易立国だからということです。資源もない食料自給率も低い国で外貨を稼がなければならないという脅迫観念が製造業を始めとする各企業に脈々と受け継がれていて、それが高品質な製品を生み出さなければならないという強いプレッシャーにつながっていく。そのような環境下で高品質な製品に囲まれた日本の消費者の目が肥えていき商品やサービスに対する厳しい評価を持つようになっていったのではないかというのが私の仮説です。
そうした状況で他者への寛容性が低くなると、どのようなことが起こるかということを考えた時、それらしいものが見つかりました。
日本における文化特異的な恐怖症であり、DSM-VIの社会恐怖とある面で類似している。この症候群は、その人物の身体、その一部またはその機能が、外見、臭い、表情、しぐさなどによって、他の人を不快にさせ、当惑させ攻撃するという強い恐怖のことである。この症候群は公的な日本の精神疾患の診断システムに取り入られている。
DSM‐IV‐TR 精神疾患の診断・統計マニュアル アメリカ心理学会
一般に患者は、ある患者が「間は魔なんです」と言ったように、対話に間があくこと、挨拶のタイミングを失すること、そのほか総じてその場の雰囲気とずれて場を白けさすこと、要するに言語、態度、動作などにおいて対人関係に「間」があくことを異常におそれる。このような「間」が中間状況で意識されやすいことはいうまでもあるまい。
対人恐怖の心理 羞恥と日本人 内沼幸雄 講談社学術文庫
時代の変遷により恐怖の対象が変わってきた。赤面恐怖的な悩みは減少し、被害感、迫害感、加害感等の対人恐怖におびえた学生が目立つ
学生相談研究第26巻第3号2006年 対人恐怖心性尺度Ⅱの開発-対人関係におけるおびえの心性を測定する試み
上記は対人恐怖症に関する説明です。よく海外の人から言われるのは日本人はシャイだというものです。ここから連想する日本人のステレオタイプとして集団主義、本音と建前、根回し、出る杭は打たれる、島国根性、義理と人情、タテ社会、言わなくても察する、KY(空気読めない)などが私の頭に思い浮かびます。
他者との人間関係を重視する社会では中間集団(無関係集団と親密集団の間)の中では本音でものを話しずらくなる、そうした土壌が他の文化圏と比べて虚偽の報告や隠蔽を増加させている可能性があるんじゃないか?と私は考えました。
- 無関係集団(見ず知らずの人たち)
- 親密集団(家族・親戚)
- 中間集団(会社の同僚、学校の同級生)
こうした土壌は国、企業、地域によって差が生じます。基本的に向こうの人はフレンドリーです。ジェットコースターに乗った時、自動的に乗客の顔を撮影して写真が欲しい人はお金を払って写真を買うサービスがありますが、アメリカで画面に映った私の顔を見た女性が私に「あなた、すごい顔してるわよ」と微笑みながら私に話しかけてきました。別の女性は「あなた日本人?私の弟は沖縄に住んでいるのよ」と話かけてきました。イタリアでつれがレストランで眠ってしまった時に、ウェイトレスの女性がつれの頭の上に小さな小皿を置くというユーモラスな行為をしてくれました。最近シンガポールに出張した時、サッカーをやっている学生の集団がエレベーターの中で私に「あなたのスーツはかっこいいね」と話しかけてきました。
私は虚偽の報告の背景に対人恐怖症のにおいを嗅ぎ取ったわけですが、これは精神医学の分野になります。そして対人恐怖症のような精神疾患を精神医学の世界では文化依存症候群というグループに分類しています。文化依存症候群というのは、ある地域、民族、文化環境において発生しやすい精神疾患のことを意味します。例えば韓国の文化依存症候群は、火病です。
火病(hwa-byung):韓国の民族的症候群で、英語には”anger syndrome”(憤怒症候群)と文字どおりに訳されており、怒りの抑制によるとされている。症状としては、不眠、疲労、パニック、切迫した死への恐怖、不快感情、消化不良、食欲不振、呼吸困難、動悸、全身の疼痛、心窩部に塊がある感覚などを呈する。
DSM‐IV‐TR 精神疾患の診断・統計マニュアル アメリカ心理学会
そしてこの火病のイメージに合う一番分かりやすい事例が以下の記事です。
韓国 米バーガー会社がウソ謝罪 狂牛病騒動どこまで・・・ 【ソウル=黒田勝弘】米国産牛肉反対の反政府デモが続く韓国で、米国系ハンバーガー会社が韓国世論の圧力を回避するため「米国内では生後30カ月以上の牛肉はハンバーグには使っていない」とウソの発表をしていたことが明らかになった。同社はウソを認め謝罪したが、外国系企業にウソをいわせるほどの韓国社会の“狂牛病騒ぎ”の激しさがあらためて話題になっている。 東亜日報(7月4、5日)はこの経緯を詳しく報道しているが、やはり最近の“牛肉デモ”に批判的な朝鮮日報(5日)はこの事件を「ハンバーガー社にウソをつかせてしまった韓国社会」と題し、社説で取り上げている。社説は「米国では毎年、生後30カ月以上の牛約700万頭が食肉処理され、かなりの量がハンバーガー店で使用されているのは常識だ。それを問題にする人はいない。人口3億人の米国で“人間狂牛病”にかかった人もいない。しかし韓国では全世界どこにもない“狂牛病騒ぎ”が起きている」としている。そして韓国社会に「平凡な事実を語ることさえまるで犯罪であるかのような“狂風”」が吹き「正常が通用せずウソが勝つ」ような雰囲気になっているため、ハンバーガー会社もウソを言わざるをえなくなったのだろうと書いている。
2008年7月11日8時0分配信 産経新聞
この記事は恐怖政治と虚偽の報告の関係を考えるにあたって、とてもストレートな内容でした。ところで、1つ気を付けなければいけないのは韓国人がみんな火病というわけでなく、韓国人全体のごく一部に過ぎないと思います。それは日本人についても当てはまります。対人恐怖症なのは日本人のごく一部に過ぎないと思います。しかし、ごく一部の人たちであっても、ある社会が他ではあまり見られない独特の症状を持つ人たちを毎年一定数生み出しているということが重要です。対人恐怖症患者を生み出す社会の背景に存在するものは何か? そのような人たちを生み出した背景がその国の文化にあるのだとしたら自分自身は文化依存症候群でなくても、その背景は無意識のうちに我々の思考や行動に大なり小なり影響を与えているはずです。しかし、我々が意識していないのであれば我々にはその背景が見えないのかもしれません。だからこそ、外の目には大きなヒントがあります。
ところで、以前、東京の某社を訪ねた夫が最も面白がり、かつ不思議がったのは、部長の前で震えている男性新入社員を見たときだった。そのあともしつこく、”日本人代表”の私を問い詰めて困らせた。「なぜ、彼はボスを怖れるのかね? ヨーロッパでは考えられない。会社の中では皆対等だもの。なぜ? なぜ? お前は日本人なんだから分かるだろ?」
即座に答えられなかった私が「すべての日本の会社がそうじゃないわよ」と言っても効果はなかった。「いや、これは日本人の行動パターンだ。自分は現実を見てしまったから絶対信じる」 頑固に夫は宣言し、それからもう30年以上になるが、この経験は彼の日本人サラリーマンに対する第一印象として鮮明に覚えているらしい
一度も植民地になったことがない日本 デュラン・れい子 講談社
監督とは、クラブでも代表チームでも大きな権力だ。そういうヒエラルキーの中で監督は選手との結びつきをより深く高いレベルにまで押し上げなければならない。監督が全てを知って選手が何も知らないのであれば、選手が遠慮なく質問できるように胸襟を開き、普通の会話ができるような人間関係を形成せねばならない。-(中略)- だが、私の日本での監督経験から言うと、この結びつきを深めることを、日本の文化性が邪魔をしていた。日本人は目上を尊重し、指導者に質問などせずに、そのまま言葉を受け入れる。あるいは言いつけを守るという《しつけ》の習慣がある。だから選手は、監督だけでなくGMやテクニカルディレクターに対してさえ恐れを抱いている。ジェフユナイテッドの監督時代にも、当初、選手はなかなか質問をしてこなかった。
恐れるな!-なぜ日本はベスト16で終わったのか? イビチャ・オシム 角川書店
福島第1原発 「国民性が事故拡大」 英各紙、国会事故調報告に苦言:【ロンドン=内藤泰朗】東京電力福島第1原発事故の国会事故調査委員会が5日に最終報告書を提出したことについて、英各紙は日本文化に根ざした習慣や規則、権威に従順な日本人の国民性が事故を拡大させたとする点を強調し、「日本的な大惨事」に苦言を呈する報道が目立った。 ガーディアン紙は「フクシマの惨事の中心にあった日本文化の特徴」と題した記事で報告書の前文を引用し、島国の慣習や権威に責任を問わない姿勢が事故原因の一端にあるとする報告書の内容を伝えた。6日にも「文化の名の下に隠れるフクシマ・リポート」と題した記事で、「重大な報告書と文化を混同することは混乱したメッセージを世界に与える」と批判した。一方、「非常に日本的な大惨事」との見出しで報じたタイムズ紙(6日付)も「過ちは日本が国全体で起こしたものではなく、個人が責任を負い、彼らの不作為が罰せられるべきものだ。集団で責任を負う文化では問題を乗り越えることはできない」とコメントした。
産経新聞 7月8日(日)7時55分配信
デュラン・れい子さんとサッカー日本代表元監督オシムさんの話から連想するキーワードはタテ社会です。タテ社会というと私が真っ先に連想したのは敬語でした。敬語というのは日々生活を送る上で相手が自分より年上か年下か同じか、どれくらい付き合いがある人か、身内か否かなど人とコミュニケーションする際に常に意識せざるを得ないものです。まあ、普段生活を送る上で、日本人であればその判断をほぼ瞬時に行っているのだと思いますが。企業によっては役職で呼ばないで社内は全てさん付けにしている会社もあります。さん付けにする意義はコミュニケーションです。なるべく上下の関係を意識させないようにし、フラットでものが言いやすい風通しの良い社風にするという狙いがあります。虚偽の報告対策の重要なポイントとして風通しのよい組織にするというのが大きなキーワードだと思いますが、そもそも日本社会や文化に風通しを悪くする要因があると、組織のトップがどんなに旗を振っても風通しは完全には良くならないかもしれません。かといって今さら敬語を無くすなんてことをしたら社会は大混乱しますし、感情的な問題が大きくなって絶対にうまくいかないでしょう。それに風通しをよくしてコミュニケーションを活発にするための解決策が敬語を無くことかというと、そこは本質的な対策ではないような気がします。本質的なことは人にものを言いにくくしていること、それは体制であったり、社風であったり、他者への寛容性の度合いなど、根本的な原因に目を向ける必要があると思います。敬語が存在しない国にも風通しの悪い組織というのはあるわけですから。ガーディアンやタイムズが言うように文化のせいにしてはいけないというのも重要な指摘ですが、では文化の影響はどの程度あったのかというのも気になるところです。
繰り返しますが、今の耐震基準では、地震につきものの津波も含めて、とうてい、日本の原発は耐え得ることができないのです。この原子力発電所の耐震指針の決め方に、私は日本人の特徴が出ていると感じます。日本人は「危ない」とわかっていても、それがあまりに大きなことで「そんなことを口にしてはいけない」と思うと、自然に自主規制がかかって、黙っているということが起きます。つまりそこにいる全員がおかしいと思っても口に出す人がいない。悪い意味で空気を読んでしまうという経験を私も何回かしたことがあります。
原発事故 残留汚染の危険性 武田邦彦 朝日新聞出版
日本では実質的に、原発に何らかの事故が発生した場合、直ちに運転を停止するという基準が設けられていて、それが結果的に東電の情報隠蔽体質につながっているように思われました。トラブルが起きた場合に、直ちに原子炉を停止するというやり方は、現実的ではないし、賢明とは言えない。そのタテマエとしての厳しすぎる基準が、逆に情報隠しが横行する温床となっているような気がしてなりませんでした。
決断できない日本 ケビン・メア 文藝春秋
日本人であれば誰しも空気を読むという言葉はこれまで何度も耳にしたことがあると思いますが、しかし、原発のように高レベルのリスク管理が求められる施設で簡単に空気を読んでしまうわけにもいかないはずです。そこで原発導入を進めるために現実的ではない厳しい基準を設けたというのが実態ではないかと、私はそのように考えました。その結果、現実的ではない厳しい基準を守ることができずに都合の悪い情報を隠すことになってしまうのではないでしょうか。ところでこのサイトで取り上げた個々の事案の内容、狂牛病騒動とか原発問題そのものをここで議論したいわけではないのでご了承ください。あくまでも私の仮説に関係しそうなものをここで事例として取り上げて日本社会に存在する可能性がある背景を探っています。
このように私は自分の仮説「セブンイレブンの売上が高い理由は他のチェーンよりも虚偽の報告が少ないからだ」の確からしさを着々と積み重ねていきました。しかし、これを立証するのはとても大変なことです。私の仮説を立証するためにはいったい何が必要なのでしょうか?
ここで皆さんに質問です。
皆さんは普段、どこのコンビニを利用していますか?